うちのダンナは ほぼ2年ごとに異動があり、
そのうち、転居を伴う異動が 8回ありました。
8回、引っ越しがあったと言うことです。
今の横浜の家は 永住するつもりで引っ越してきました。
だから、ここに引っ越してきた時には
もう引っ越しはしなくていいんだと、心底嬉しかったものです。
でも・・・・・
まだ、真打がありました・・・・・
実家の引っ越しです。私の両親は 昭和30年に兵庫県西宮に居を構え、
それから一度も転居することなく、今に至っています。
一度、家の建て替えをしたのですが、
その時は 庭にある離れに 主だった荷物はすべてぶち込んで
母屋を建て直したので 恐ろしいことに古いものが そのまま残ったわけです。
その時建て替えた家も 築40年ほどになりました。
19年前の阪神の震災で 震度7で揺さぶられた家なので
ちょこっと歪んでいたりします。
水回りも がたがた。
このたび、すべて取り壊して 建て替えることになりました。
一旦、別の所に引っ越して、再び戻ってきます。
すぐに直面したのが、大量にある「物」の片付け。
どこの老人世帯もそうだと思うのですが
新しい物をおろすのは もったいない。
いつかは使うことがあるかもしれないから とっておこう。
まだ使えるものを捨てるのは もったいない。
結婚する時に親が持たせてくれた。
等などの理由で 大量の物を処分することなく、
生活圏まで押し寄せている物に囲まれて暮らしています。
新しい家では 本当に必要な物だけで スッキリ暮らしたい。
(親と同居する私の姉の希望。当然の希望です。)
そこで フルタイムで働いていて、なかなか時間がとれない姉の代わりに
私が 出張って行って 片付けているわけです。
泣きそうになります・・・・o(TヘTo)見渡す限りのガラクタ。 ← 私から見れば。
一気に粗大ごみとして ゴミ処理場に持ち込みたいところですが、
そこは 親の住まい。
両親は 頭もしっかりしていて
勝手に処分すると 怒る怒る。
いちいち、お伺いを立てなければいけませんが
訊けば、
答えは 「おいといて」
なんとかかんとか、納得させて
母のものは だいぶ片付けることが出来てきました。
(母はホームにいます。 いない人の片付けは ある意味楽。
それに 母が一番こだわっていた物は すべてとり置くことに決定)
問題は 父のもの。
痩せても枯れても、一応は 家の主。
プライドを傷つけないように、
それでも 処分すべきものはきっぱり処分していかなければ
どうにもなりません。
なんたって、家の取り壊しの期限は 決まっているのですから。
親の家を片付けていて つくづく思うのは
親の言う、「もったいない」は ちょっと違うなぁという点。
今、使っているものがまだ使えるからと
新品を死蔵して、結局 染みができてしまっている、劣化してしまっている、
で、新品のまま処分。
あんなに場所をとっていたのに。
こういうのを「もったいない」というのではなかろうか。
余計な物は買わない、貯めない。
これは高い物だったから、と捨てられない人は
そんなものは 買わない。
古くなったり、汚れた場合、躊躇なく廃棄できる値段のものが
自分にあった値段なんだと 考えるようになりました。
疲れたな~~とめげそうになった時に 救いになるのが
ワルっこの存在。


新幹線に乗せられて、あっちこっちに連れていかれて
きっと疲れるだろうに 体調を崩すこともなく、
十分に散歩も行けずに おもいっきり走り回ることも出来ないのに、
日課となっている夜寝る前の 部屋のなかでのボール遊びを
楽しんでくれて、
尻尾ぶんぶん丸と呼ばれるほど、機嫌良く過ごしてくれています。
父や姉の気晴らしの役も果たしてくれて
本当に助かっています。
そこいらに ウン○しちゃうのは
大目に見て。
このまま、4月半ばの家の取り壊しまで
突っ走るぞ~~~━━━━(`∀´)ノ━━━━━━!!!
その週末が 春季訓練競技会って
ちょっと 大丈夫かっ?!って思いますが
なんとか なるさーー。


今年は 桜もチューリップも 無理かな~?
ネモフィラは 行こうね。