まず 今日のエルさん。


顔が 小さくなったと言われます。
痩せると犬も小顔になるんだねー。

お腹に腹まきを巻いています。
上から見ると 「ほそっ!!」
ワルサーズも 最近は家の中では 半分くらいオムツをしているので
みんな 腹まき犬です。
少し(あくまで少し) 体重をふやしてもいいですよ、と言われたので、
おやつをちょくちょく貰えるエルさん。
もーーぉ ご機嫌
です。
もともと 食欲魔人だったのですが、いまや 食欲大魔神になってます。
戻すのは 200gだけだからねっ

ついでに 関係ないけど 変顔のラックちん。


エルもデュークも こんな風に顔の毛が 変になることないのに、
どうしてラックだけ 変顔になっちゃうのでしょうねー
顔の毛が 長いのかしらん。
・・・と 関係ない話が続いたところで 「てんやわんや」の方ですが
まだ、先週の日曜日の話なのに ずいぶん前に感じます。
それほど 色んな事がいっぺんに起こりました。
不謹慎に思われるかもしれませんが、感じたことを そのままに。
前日の17日(土)に エルの手術が行われ
その夜に瀕死のエルをみたその興奮(?)さめやらぬ18日(日)。
朝 病院に電話をして エルちゃんは元気で、すごい勢いで缶詰を食べてます、と
報告を受けて ほっとして、ダンナは その日は休日出勤。
私は11時半ころに 退院の許可が下りたエルを連れて 家に帰ってきました。
エルにちょっとご飯を食べさせたり、掃除をしたりしていると
一本の電話。
ダンナの父が 危篤との知らせ。それが 12時過ぎ。
父は 病気がちだったわけではなく、
確かにリハビリを兼ねた検査入院はしていましたが、
前週には 雪かきをしていたほど元気。
それが どうして?と びっくり、オタオタ

幸せなことに 私は今まで近い親族を送ったことがありません。
なにからどうすればいいのか、さっぱり分からなくて
とりあえず 飛行機の空席状態を息子にみてもらい(ダンナの実家は鳥取)
でも、何人ぶん必要なの?と 訊かれても
「さぁ?」
とりあえずしたことは エルをもう一度 再入院させること。
病院に エルのことですが・・と電話をすると
昨晩のことがあるだけに 向こうにも緊張がみなぎった様子がわかったのですが
実家に帰るのでヨロシクというと どうぞどうぞ。
せっかく帰ってきたというのに
エルさんは また病院に逆戻り。
一時間も家にいませんでした。
あとは ひたすらオタオタオタ・・・・



危篤って言われて 喪服着て帰るわけにはいかないし、
でも 万が一の時に取りに帰られる場所じゃないし、
数珠はどこだっけ? 礼装用のカバンはどこだっけ?
まだ 用意しなくていいのかな?
そもそも何を持って行けばいいの?と ウロウロ。
息子たちは 俺たちはどうすればいいの?と訊いてくるけど
知るかよー、家にいればー、ワルサーズの世話をよろしくねー、
とかいっている間に 1時間もしないうちに
「亡くなった」との 知らせ。
それからは もう バタバタに拍車がかかり、
18時の飛行機に乗ろうと私ひとりの予約を取っていたのを
あわてて4人分に変更。
3時半には 出なきゃいけないと おおわらわ。
ワルサーズを エルの病院にムリムリ入れてもらい、
息子どもに 100均に黒ネクタイと数珠を買いに行かせ、
会社に電話して すぐ帰ってこーいとダンナに伝言してもらい
新聞止めなきゃ、近所に一言いっておかなきゃ、
パンツ何枚持っていかなきゃいけないだー、と
ひたすら あわてまくり、結局 喪服の上下が違うスカートを持って行ったり
(黒だから わかんない、わかんないと言われましたが
はっきり素材が違う)
洗面道具を忘れたりと いっぱいボロボロとりこぼして
羽田に着いたころには ひと仕事したような疲労感。
(ダンナがどうしても 18時の飛行機には間に合わないというので
20時の便に変更。 あんなにあわてて用意したのに~~)
これからだっちゅうーの!!
長く患っておられた方が亡くなる場合、
きっと 送る側の覚悟もある程度できるだろうし、
へんな話ですが、悲しむ用意も出来ていると思うのです。
でも、突然 亡くなってしまうと
目先のしなければならないことに追いまくられて
悲しむ心の余裕がない!
これは、わたしが嫁だからとかいうのではなく、
ダンナも、また かわいがってもらって おじいちゃん大好きの
息子たちも同様で、さらに ダンナの実家に帰って
他の親族たちも同様の様子だったので、
忙しくすることで 心の防衛本能が働くのかもしれませんね。
鳥取、正確には米子に帰って、
初めての「お葬式」を 体験したわけですが
これがまた とてもとても興味深いものでした。
何年か前に 伊丹十三監督が 「お葬式」という映画を撮っておられましたが
(今は 「おくりびと」でしょうか、これはまだ観ていません。みとけばよかった。)
随所に笑える場面があったのを思い出しました。
お葬式というのは、死者を送るという荘厳な儀式ですが、
そこに やむなく事務的な日常がはいってくる場面があるわけで
そのギャップがたまらなくおかしい時があり、
悲しいはずのお通夜で笑いをこらえるのが 苦しい一幕も。
きっと 笑っていてもおじいちゃんは 喜んでくれるよね、と
愁嘆場はないお葬式でした。
おじいちゃんは もういないんだね、としみじみ思うのは
きっと 初盆で帰った時や、いつも送ってきていただいた梨の季節、
お蕎麦を送ってきて下さった12月末なんだろうなぁと思います。
まだまだ ピンときていません。
亡くなった方のことを思い出すのが
供養になるならばと もう少しお葬式で感じたことを書いてみたいと思います。
合掌